2011年1月11日
1/24(月)10:30頃FMおたる「おたる案内人インサイドストーリー」
1/24(月)10:30頃FMおたる(76.3MHz)「おたる案内人インサイドストーリー」放送
== おすすめ観光スポットや体験談・おたる案内人としての夢をお伝えします ==
■再放送 同週金曜日21:15頃
今回の出演は、おたる案内人2級
斎 藤 仁 さん(斎藤ダンススクール 代表)です。
※本収録にあたりましてはJR小樽駅 安藤駅長より全面なるご協力をいただいております。
今回「おたる案内人インサイドストーリー」のお話しをいただき、思い出深い場所として真っ先に思い浮かべたのが「小樽駅」でした。
昭和41年4月、高校教員であった父親の転勤で彼の地に移り住むことになり、家族でSLに揺られここ「小樽駅」に向っていました。銭函駅を過ぎてまもなく見える日本海に、ほとんど海を見たことのない、空知の穀倉地帯美唄で育った私は車窓にしがみつき、張碓海岸の恵比寿岩に驚き、遠くに見える増毛連峰に「あれは外国かい」と父親に聞き、食い入るように海を眺めていました。
黒煙と蒸気に曇るプラットホームから、心躍らせ地下歩道を下りて眼下に広がる小樽の街に降り立った事は今でも鮮明に覚えています。
なにしろ当時の北海道は道都札幌を含め、歩道跨線橋しかなかった時代に地下に下りるなど考えられなかったことで、テレビでしか知らなかった、都会に来たという印象を強く持ったものです。
歴史を紐解くと竣工当時の昭和9年から地形を利用し地下歩道方式を取ったということですが、近代北海道のモダニズム建築群が割拠する小樽ならではと思います。札幌が地下歩道化されるのが昭和47年札幌オリンピックの前年市営地下鉄開通まで待たなければならなった事を考えると小樽の人々の粋を感じます。
私が案内人を受験した動機は単純に「この街小樽が好きだから」にほかありません。どうして?と考えたときにやはり前述の小樽駅に降り立った風景が蘇るのです。
更に今まで出逢った多くの温かく優しい人々のお陰でこの街で生きて行く勇気を与えられたのです。
私は「おたる☆浅草橋オールディーズナイト」を始めいくつかのイベントを立ち上げています。市外から来る参加者から、小樽はいいですね、また来ますよ、来年も出たいです、といわれるととても嬉しくなります。
3大クリスマスソングの1つに「赤鼻のトナカイ」という歌があります。みんなの笑いものだった赤鼻のトナカイがサンタさんにお前の鼻が暗い夜道で役に立つと言われ、うれしくなり張り切ってしまうという歌です。
私も小樽の赤鼻のトナカイになりたいと思っています。